『群像』5月号・最果タヒ「スパークした」/第一詩集
2009年 05月 17日
『群像』5月号「新鋭15人短篇競作」に掲載されている、
最果タヒさんの短編「スパークした」を、先日一気読みした。
感想というか、印象をちらほら書き留めておく。
小説という枠組みに、あまりとらわれず、著者の詩をより散文化したものに近い。
1・2・3人称がめまぐるしく入れ替わり、特に終わりが唐突に2人称。
2人称は、一人の人物に張り付いてくるようで、
同じものを書いていても、2人称だと不気味さが増すよなーと思う。
無粋なことだが、私ならタイトルを「スパークする」にしてしまうだろう。
まあ、結果「スパークした」がいいのだけれど笑。
あと、最果さんと片川優子
(片川さん……何年か前に某新人賞を最年少受賞してるはず。
“○○さん”など、単行本タイトルに人名をつけたものが多い)
の年齢が(年から見る限り)1つしか違わないことに驚いた。でも、そんなものかもね。
書店員が文庫本を猛スピードで棚に差し入れていく。
本を本とも思わないような、その手つきを眺めて、つらつら考えた。
自分の部屋で、最果さんの第一詩集「グッドモーニング」をぱらぱらと開きながら、
なぜこれを読むのかと不思議に思うことがある。
特別好きというわけでもない。私好みの表現とはかけ離れている。
けれど、繰り返し手にとってしまうのは、何かに惹かれているからなのだろう。
「真夜中」2号掲載の最果さんの詩は、読んでいると気持ちが晴れてくる。
作品もそうだけれど、「真夜中」という誌面自体にも、
一種の現代詩らしさ、その堅苦しさ、みたいなものが抜け落ちていて、気持ちが良い。
***
誰でも構わない。
誰かの第一詩集を読む。
ひとりひとりの詩人の処女を紐解いていく。
しずかになる。おごそかになる。
祈っている。
さげびと祈りとさげすみとよろこび、昇華。
。。
零れ落ちた王冠を手に
さあ、私はどうするの?
一時期は、叶えたくてたまらなかった詩集出版が
今の私にとって、何を意味するというのか。
4年前ならきっと、簡単に現せただろう。
たいそうなことは言えない。
でも、でも、
実はずっと、どきどきしている。
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by moonpower0723
| 2009-05-17 14:50
| 詩の仕事