春休みの冒険

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知らない道を歩いてみたい。
空間の目になりたい。

●ギャラリー ミヤシタ 1F 秋田智江展 
-STORYのいる場所III HOTEL NO PARAISO-


栄通記の記事(写真有)

たくさんの色とたくさんの丸。時々跳ねる、ぶつかり合う、散る!
泡のように湧き上がり、ぽこぽこ音を立てる。飛散しながらも、集っている。
〈小さな絵が集まって、ひとつの作品〉、すこし離れて見てみると、家々のような。向かい合うのは、〈大きな作品〉。すっと刃物で裂いてやれば、その白地の壁面から無限に色とりどりの卵が吐き出されるのでは、そんなイメージを思い描く。ふくらみのある絵だった。首に下げていたネックレスを秋田さんに褒められる。

●ギャラリー ミヤシタ 2F  カワシマトモエ個展

別の展示だが、参考として栄通記の記事(写真有)

キャンバスからはみ出さんばかりに描かれたリンゴ。雲間から覗くリンゴの頭。電球のように吊り下げられた洋ナシ。緻密なタッチで描かれた、2個つなぎのサクランボ。インパクトある果実の絵が展示されていた。カワシマさんはここ数年ずっと〝まるい〟ものを好まれて描かれているそうで、会場に置いてあったファイルから、その軌跡が辿れる。展示されていた作品の一部はすでに売約済み。小さいサイズの絵は、確かに家に持ち帰りたい愛らしさがある。それにしても、果実ひとつで、色味、かたち、切り分けたときに顔を出す、果肉、種子の詰まり具合、これほど違うのか。個人的には、ヘタを目指したリンゴの窪みに沿って、グッと力強く回り込む曲線が好きだ。

●カフェ エスキス 安藤文絵展 Painting project in NY -ニューヨークでの1ヶ月間の軌跡-

NYでの展示の模様

展示の副題の通り、NYで作品を展示した際の報告を目的とした展示である。カフェと展示が同居しているので、1点1点にじっくり目を向けることは難しかったが、NYで行った展示の企画自体がとても興味深く思えた。会場にベッドを設置し、集まった人々の手でそのベッドに絵の具を塗ってもらった、という。「手」というのは生身の人間の「素手」だ。安藤さんが「報告」として書かれているように、「手をよごす」という慣用句には「悪いこと・好ましくないことを行う」という意味と「自分の体で実際に体験し、その苦労を味わって物事を行う」という対照的な意味合いも含まれている。心地の良い居場所の象徴としてベッドを据え、それを「手でよごしてもらう」制作行為を通じて、安藤さんは現在のアメリカを感じたという。「報告」には、オバマ大統領の演説の一部も引用され、他国で自分の作品を発表することに対する、作家の強い意識が見えた。そして(?)、私はハムとチーズのホットサンドを食べた。

●ギャラリーエッセ 渋谷俊彦個展-蒼い雫09

栄通記の記事(写真有)

白い石膏。円形の側面に丁寧に描かれた、雫。水のイメージらしいのだが、人によって違うらしく、私は宇宙に浮かぶ星雲を想像した。ばかげて聞こえるかもしれないが、昼下がりの閑散とした遊園地、とも感じた。自然光がやさしく降り注ぐ会場。四角い台が据え置かれ、その上にひとつひとつ無秩序に発生する〝雫〟と水たまり。〝雫〟の下にできる丸い影は、ティーカップを受ける皿のようで、それが「遊園地」なのだった。街の喧騒から逃れた、郊外にある人気のない小さな遊園地。もちろん、展示を見た最初の印象は「自然」だったのだけれど、誰かのための「特別」「秘密」を抱えた空間であるようにも感じられた。今回の展示最後の客(!)ということで、〝雫〟に触らせてもらえた。石膏を固める段階から、版画と筆での着彩まで、ひとつを作り上げるのに、とても時間がかかる、というお話。手触りはとても心地よく、人肌によく馴染む。それでいて、石膏自体の重みがあり、何となく〝物〟という感じがしなかった。「好きな場所に置いていいよ」と言われ、小さい〝雫〟に近い位置に置いてみた。


春休みの冒険。まだ足を運んだことのなかった三つの空間にお邪魔した。方向音痴が心配だったが、幸い何事もなかった。朝は二度寝してしまい、起床して時計を見ると11時30分ちょうど。と、その瞬間に北朝鮮の人工衛星だかミサイルだかが発射されて、母がお祭り騒ぎをし始めた。つられて、私もちょっとどきどき。発射は、私の起床が基準だったようだ。いつもの半分の時間で英文3題復習して(どれだけ普段ちんたらやっているかという笑)、家を出たのだった。

帰りに、改装してから初めて某書店に行った。改装、というか書店自体が別の店と入れ替わったのだが、棚などは以前のままだった。しかし、中央の通路が広くなって通りやすくなり、カフェもできた。大型書店+カフェっていうのは、もう当たり前なのかなー。詩集のコーナーがすごい縮小されていて、ショックだった。三○堂は詩集を置いてくれないのは、別の支店でも知っていたけれど、残念だ。「イラストレーション」、酒井駒子さんの本のセレクトが私の好みと一緒。わーい。アクリルアワードの受賞作品が誌上掲載されていた。森本さんの絵、雑誌のサイズでもこの迫力。実物はどんなだろう。





***

最近、知らない人と会って話したい、なんて思う。私が詩やものを書いているとは知らない人と、とりとめのない言葉を交わしたい。人と出会うのは好き。好きだから、作品にまつわるいろいろな雑事も喜んで引き受ける。けれども、喜べるものばかりが近づいてくるわけではないことに気づきはじめた。実際傷ついて、沈み込むようなことが立て続けに起きた。好意を持ってくれている人が、皆良い方向に動くとは限らない。誤解もある。思惑がある。取捨選択しないといけない。損得ではなく、感性で人を見たいとも思う。経験が足りないからだろうか、人を見る目がない。それは私を安くする。詩人という立場にある人たちを、自分も含めて、好ましいとはあまり思っていないのかもしれない。ええ、そんな思いつきこそ悲しくて、自分に裏切られた気持ちだ。

何かにとりつかれたような人は、本当の素晴らしい人間ではない。「すごい」と見る人を驚かすこともあるかもしれないけれど、その部分だけに引き寄せられて集った者たちは、一種の宗教じみていると思う。
「ことばがすき」とは、もう言えなくなった。以前はそうつぶやくたびに、自然と目が潤んでいたのに。もはや、「すき」と軽々しく口にすることも許せない。彼は一番信用してはいけないもののひとつだから。「ことばはあまり重要だと思ってないんだ」と語ってみせた男に対して、「ことばがすきなんじゃなくて、ことばの見せてくれる世界がすきなの」、口をついて出たあの言葉が、今の私の真実だと思う。
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by moonpower0723 | 2009-04-05 22:37 | 美術部の人々、札幌アート

文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723