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木村環 鉛筆画展/女子高生なるほどの対話

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昨日は、学校が午前授業で、午後からは紀伊国屋で過ごしました。
というのも、木村環さんという方が描かれた鉛筆画の展示を見に行ったからなのです。
1年前、某ギャラリーで木村さんの個展のDMを見つけ、
DMの絵が凄く気に入った私は、額に入れて、半年くらい部屋にそのDMを飾っていました。
(自らの髪の中で巣のように眠るひとの絵でした)
そんなわけで、いつか木村さんの個展を見に行きたいなと思いつつも、
いろいろあって、2回くらい行きそびれてしまいました。
一昨日、木村さんの個展が紀伊国屋のギャラリーで開かれていて、
しかも明日(12日)が最終日だと知った私の反応はまさに
「!」
やった!、行かねば!、楽しみ!
が合わさった「!」でした。

そんなわけで紀伊国屋へ。
木村さんのファンは多いと聞きますし、
その上、本棚と隣り合わせのギャラリーですから、
書籍が目的で来られた方も、作品に引き込まれ、絶えずお客さんがいました。
作品はたっぷりと注目を浴びて、満足そうでした。

人は、木村さんの絵を見て、描写の緻密さと、
その緻密な絵が(自分たちにとって身近な)シャープペンシルによって描かれたものだということに
「すごい!」と第一声をあげることでしょう。
しかし、一点一点を細かく見ていく内、その最初の驚きとは違った点に
人はさらに圧倒されると思うのです。
それは、「アリス」
(ルイス・キャロルによって書かれた「○○の国のアリス」に挿絵をつけてみる、
というコンセプトで描かれた一連の作品。ギャラリー門馬ANNEXで展示されたそう)
の絵を見ているときでした。
それらもやはりシャープペンシルで描かれた上に、色鉛筆で薄く色が塗られている、
シンプルといえばシンプルな作品たちでした。
けれども、恐ろしい。すこぶる怖い。
何か(例えば、落ちてくる本の背表紙、棚に積まれたジャムのラベル、、)
に少しでも狂いが生じれば、作品の世界そのものが壊れてしまう、
「これは嘘だ」と思われた瞬間、どんなにアリスの表情が生き生きと描かれていようとも、
全てが緻密に描かれた画風だけに、全てが潰れてしまうのです。
木村さんはおそらく、一枚のアリスの絵を描くために膨大な資料を必要としたはずです。
そんな絵がいま目の前に何枚も存在しているということへの恐れと、感動。
緻密だからと言って、アリスのイメージをそのままなぞらえて描いているわけではありません。
くりっとした、いたずらそうな黒い瞳に、おかっぱ頭、赤いカーディガンを着、
バレエシューズ(小学校低学年のとき、私も上履きで使ってました汗)を履いた女の子。
ところが、彼女が木村さんの手にかかればあのアリスになって、不思議の国を冒険してしまうんです。
しかも、その点に何の違和感もなく。これってすごいことじゃないでしょうか。
木村さん本人もいらっしゃって、お客さんひとりひとりに笑顔で対応されていました。
首に巻かれたスカーフにセンスの良さを感じました。
どことなく、ご自身が描かれたアリスの雰囲気もあります。
本当、見に行ってよかったです。「アリス」以外にも魅力的な絵がたくさんありました。
会期中に本を買いにこられて、“偶然”木村さんの作品に出会えた方は、間違いなく幸運です。
new「アリス」の作品群は門馬のHPから見ることができます。

ここから文体変えます。
(B/Cって表現すると思う。
もし女子高生が文体の魔術を使うなら)。


もちろん、本棚も徘徊した(怪しい。
某大学の過去問を購入。目標のレベルがわからないと、参考書も選べない、、ということで。
美術の専門書は、やっぱり最近できた某書店の方が充実している。
また装丁の旅をする。
以前から気になっていた漫画を買う。
いい漫画は突発的な刺激になるのでよい。詩は意外に起爆剤にならない。
じゃあ何になるかと聞かれるとわからない。還元するために読んでいるわけじゃないもの。
でも、最近意識的に自分の中に取り込む文章を選り好みするようになってきた。
読んでいるけれども、読んでいない状態?自分の意識から閉め出すのだ。
自分から「読みたい」ものならともかく、
学校で読まされる文章で、筆者の書く姿勢を疑いたくなるようなものは適当に読み流している。
影響があるように思えて。ただ、全く文字さえ追わないのはいけない。
広く読んでおけば、後々役に立つ。けれども、役立てようと思って読んだ本なんて役に立った試しはない。
ああ、文学に関するパフォーマンス(小説、詩に関わらず)に対して、ますます好き嫌いがはっきりしてきた。
しかも、本当に嫌いなものは生理的に受け付けない。これでいいのかな。

詩集のコーナーもチェック。

やさしい現代詩―自作朗読CD付き

小池 昌代 / 三省堂

  

生きのびろ、ことば

小池 昌代 (著), 吉田 文憲 (著), 林 浩平 (著) / 三省堂



やっぱり「やさしい現代詩」と「生きのびろ、ことば」は話題なのかな。
詩人と話を合わせるのも大切だ~と珍しくそう思い、「生きのびろ、ことば」を手にとって読む読む。
某氏が私の名前を出していて「ん?」
私って現代詩フォーラムから輩出されたらしいよ汗。“輩出”って……。しかも話題になったらしい。いつだ?
「17歳で受賞」とあるけれど、受賞時は5月だったから16なんだよう。ぴちぴちだよ?
書いてくださるのは嬉しいけれども、情報に狂いが orz
でも、正直現F(詩書きのSNS)は一時期はまっていた。詩誌への投稿がメインの活動だったとしても。
過去の現代詩手帖賞受賞者も何人かい(た)るけれど。。
今でも携帯からたまに行く。気に入った作品があればポイントを入れる。
でも、私の好きな作品はあまりポイントが入っていない。
それでいい、自分の道を貫くんだ!と勝手に見守る。
投稿はしていない。しないと決めたわけでもないけど。
かわりに、HPに自分のページをリンクして、作品公開ページとして使ってしまっている。
それならそれで、更新するために投稿するべきだろうか。
「生きのびろ、ことば」一応買っていこうとも思ったが、結局買わなかった。
ネット詩が嫌いなわけでもないのだけれど、
それに対する偏見みたいなものを被るのはまっぴらごめん。
人それぞれだと思うけれど。
もともとは好きでやっていた創作なのに、いつのまにか評価を求めるようになって、
「自分は表現者だー」などと狂いだす。
詩誌に載りたい人は投稿欄に出せばいいのだ。
ネット公開でも読んでくれる人はいるし、文学極道っていう“反・馴れ合い”の投稿サイトもある。
詩×映像、音楽、写真、、、様々なものを用いた表現を公開可能。
ただ、ネットって、先があまりないんだよね。ポエニークの「ぽえ。」企画も今は休止中なのだっけ。
アンソロジー書籍化みたいな話に発展することもあるけれど、ごくごく一部というか。内輪になりがちで。。
そんなこと言ったら、詩なんてほとんど内輪じゃないかー。文学だってそうじゃないかー。

打破せよ。
ただそれだけだ。

今日、学校帰りにビラ配りの家に寄って、昨日作ったチョコを渡した。
ついでに、<なるほどの対話>した笑。波長が合っていた気がする。
考えていることや思うことが一致するけれど、完全に一致するわけでもないので、
その微妙な差をお互いに楽しむ。
“湧きおこる慈愛の気持ち”。
“優しさに対する怒り、困惑”。
“嫉妬の裏返しを仕掛ける人々”
あれは、どう処理したらよいものだろう。わからないまま、身を任せている。
こういう話ができる友達がいてよかった。
それだけで、中学3年間実りがあった。暗黒は絆を深めてくれた。今では元中へ感謝の気持ちさえ湧く。
このごろ、心の中の言葉遣いがよろしくない。
素直になったといえばそうなのだが、心が短絡的に反応するようになる。
短絡さを抑えることで、創作に力は向いていく。寡黙になることで、文章には厚みが出る。
自制しよう。


読んでくださり、ありがとうございます。

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by moonpower0723 | 2009-03-13 22:07 | 美術部の人々、札幌アート

文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723