祭が明けて、文芸誌乱読。
2009年 07月 20日
昨日は帰宅後、夕飯を食べてすぐに布団に倒れ、意識を失った。目覚めると、昨夜最後に時計を見てから、10時間経過していた。まだ昨夜の体育館の熱気(バンドの爆音が耳を塞ぎ、男子たちがボクサーパンツ一丁でステージ上で踊り狂っていた)が身体の中にある。父の「パジャマ着て寝なさい」という注意に呻き声で応えたらしいが、全く覚えていない。ひどい娘だと父に毒づかれた、ご名答。メールチェックをすると、「A(某詩人)のファンであるらしいあなたに言いたいことがある」という長文メールが見知らぬ人から来ていて、そもそも私はAの詩をいいと思ったことはなく、ただ詩人というものがどんなものか興味があって、Aの講演会へ行っただけなのだから、Aの活動が核を推奨しているか等はどうでもよく、書き手というのは、自身の作品とは関係のないことまで問われなければならないのかと狼狽しつつも、朝食を食べたら、雨のせいかまた眠くなり、寝てしまった。
起きてすぐに今度は昼食を食べて、図書館へ出かける。学校祭準備で本当に忙しくて、本を読めなかったため、再貸出しの手続きを済ませる。「すばる」8月号に吉増剛造と唐十郎の対談を探し出す。興味はあったが、読めるほど回復していなかったのでスルーする。
「群像」8月号の川上未映子の「へヴン」は単行本化を待つことにして(ところで「情熱大陸」はひどかった。テロップも安っぽい言葉ばかりで、何より音のぶつ切りが我慢ならなかった。FOFOFOFOFOFO!中文連ならQシートに百回くらい書きたい感じ。あそこで放送されている内容には“挫折”というものが皆無で、それは番組を盛り上げるためにも必須な演出なのだけれども。ひとりの天才がいました、その人が3作目の小説を書きあげました、で終わってしまっている。収録から放送まで時間がなかったのはわかるが、編集とかどうにかならなかったん?未映子さんも内心不満やないやろかあれ。それでも動く未映子さんに魅せられて、もう3、4回見ている)、コラムを読む。「村田沙耶香の簡易説明書」が面白い。「……に乳房を求めているので」求めているので……はあ、皆あれに乳房を持っているのかしら。
「小説現代」7月号の特集は〈青い性〉で、石田衣良と辻村深月(そういえばこの人はドラえもんファンだった)が対談している。こういう対談は「セブンティーン」とかでやればいいのに笑。そしたら、「性に焦る子」も減るでしょうに。「現役の青」(笑)が唯一共感できたのは、辻村深月の語った〈恋愛カースト〉。昨日まで学校祭だった私にとって、タイムリーな話題である。恋愛に限らず、どんな場合でも学校は独自の階級社会。教師の目にしたって、平等なんてものはあり得ない。「派手」、「おとなしい」、そしてどちらのタイプの子とも会話できる「真ん中」。私は「真ん中」のややおとなしい子に属していると思っているんだけど。どうなの?ただの自負なのか?いやはや。しかし、現実の階層はここまで単純ではないだろう、と思う。「おとなしい」子がでしゃばるのを「派手」な子が忌むのと同じくらいか、それ以上に一部の「おとなしい」子は「派手」な子を影で吐き気がするほど嫌っているよう。私はむしろ好いている。楽なのだ。面倒な行事をそつなくこなす、あの子たちは有能だし、存在がいかにも「学校」らしいから。「あんなに気張っちゃって、かわいらしい」と心の中で愛でることが私の仕事。あは、上から目線が炸裂しちゃう、若者の典型ラヴ。
同特集の石田衣良「遠花火」と嶽本野ばら「wife」を読む。後者は何も言いようがない。「青」の意味を他の人とは違う視点で捉えたらしい。これはこれで「青」なのだろう。前者は、花火を見ながら男女がやってしまっているので(そういう場面しか読んでいないわけではないですっ)、花火とやっている話にすればいいと思う。そしたら、私の詩になってしまうね。そういえば、昨夜見た校庭での打ち上げ花火は、今年も美しかった。人の恋模様もばればれだ。去年とメンバーが入れ替わっているので楽しい(くっついたり離れたり磁石みたいだと思う)。あんなかわいい子がどうしてこんなどうしようもない男と付き合うのかと、同性特有の憤りも感じつつ。
「新潮」8月号では、村田沙耶香「街を食べる」と鹿島田真希の「湖面の女たち」。村田さんは、〈自然志向〉にのめりこんでいく女性をありきたりに描き出しているようだが、最後の最後でどんでん返しをされて驚いた。さすが「乳房を求めている」人だわ。「湖面の女たち」はまゆ子という白痴の女性と、妹、妹に依存する母親の3人の女性に辱められた男の物語。現実にこんな正確に女を見抜く男性がいたら、たまらなく怖いと思う。女性である著者だからこそ書けた作品だろう。絵画作品だと顕著だが、男の人が描く女性像はやっぱりきれいで、きれいすぎて歪んでいるほど。あれが逆に私は怖い。女の人が描く女性像を見ると、生々しくてとても安心する。こういう主題を書くのは面白そうだけれど、私は年齢的に追いつけないし、背伸びして書いてみたところで、それはやっぱりどこか違っているのだ。何より、年上の女性を批判的な眼差しで書くのは恐ろしいことだ。どんな顰蹙を買うかわからないもの。ああ早く年を取りたい。そう意地悪く思って「ユリイカ」12月号の特集「母と娘の物語――母/娘という呪い」も読んでいる。上野千鶴子の絶えることないパワーの源を知りたい。
先日、「小説家を見つけたら」という映画をテレビで見た。タイトルに惹かれて、録画しておいたのだが、中身はいわゆる〈感動作〉。何を求めて自分は、この映画を見たんだろう。主人公はある老作家と出会うのだが、二人とも「天才」という設定なので、凡人が入り込める隙がない。貧しい黒人の一家に生まれ、母子家庭のいい息子……まではいいと思うのだけれど、スポーツはプロ並みでスカウトが殺到し、勉強も物凄く出来て超博学、お金持ちのブロンドの女の子と恋人になるわ、書いた文章や小説はたちまちもてはやされるわ、老作家から莫大な遺産を受け取ってしまうし、あああああんたはそれ以上何を求めるんだよおおおおと主人公に対して雄叫びを上げたい衝動にかられた。あ、あれが感動作なのか。老作家と関係を持つことによって、活字中毒に陥り、人生が破綻してしまう少年の物語の方が感動できると思いませんか、現実的じゃありませんか、ねえねえ。
美術部の学祭展示へお越しくださったみなさま、ありがとうございました。
美術部の展示としてはかなりの盛況で、うれしいお言葉もたくさん頂けて励みになりました。また、ただ作品を創るだけでは見えてこないものを、感じ取れたように思い、今後の課題も見つかりました。
詳細は後日またご報告します。
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by moonpower0723
| 2009-07-20 00:03
| 作家になりたい。