お月さまになりたい。

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森本めぐみ展「ワークス」/本田征爾展「―幻灯宇宙―」

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26日、森本めぐみさんの個展「ワークス」を見に、品品法邑を訪ねた。
ここ数年森本さんが行ってきた活動の集積的な個展で、
アクリルアワードの大賞に輝いた、
「On the field」を中心に、多くの作品が展示されていた。
布、紙、ベニヤ、パネル、作品の素材から見ても様々で、箇所にまとめて配置されている。
天井の一面から、(ダンボールを人型に切り抜き、表情などを吹き込んで
子どもの肌着で作ったという下着を穿かせている)“ハレンチちゃん”がぶら下がる。
頭上での可愛いらしい歩みが、一見ばらばらな作品たちを繋ぎとめているように思えた。
新作「なくしたゆびわ」。冊子のかたちをとった、旅の記録。
ただのひとり旅ではなく、指輪という相棒と共に旅をするなんて、さすが粋である。
道中に描いたと思われる絵日記も掲載されていて、臨場感たっぷり。
これがなかなか魅力的で、
なぜかというと、読み手がはらはらさせられるような出来事や言葉がたくさんでてくるから。
旅は何が起こるかわからない。考えてみれば、当たり前なのだけれど。
お気楽な観光旅行としてではなく、
あらかじめ、覚悟(指輪)をもって旅に臨まれているため、
その記録にも凄みが増しているのだ。
読後、私が「楽しいだけの旅ではなかったかもしれませんが……」と言いかけると、
森本さん本人は「いえ、楽しかったですよー」と笑顔で切り返してくれた。
その邪気の無い笑顔に、少しびっくりした。
旅の中であんなこともこんなことも、あったのに?
作品となった時点で、森本さんの旅は
森本さんだけのものではなくなっているのかもしれない。
何かそういう視点で、ご自身の事も、突き放されているのかなあ、とぼんやり感じた。

2月に行われた森本めぐみさんの個展に関する記事


28日、ギャラリー門馬ANNEXで本田征爾さんの個展「―幻灯宇宙―」を見てきた。
本田さんとは、キッサ開化の展示でお会いしたことがある。
北大の水産学部を卒業された方で、以前、まぐろ調査船に乗船されていたそうだ。
その経験が生かされているのか、
細部まで丁寧に描かれた空想の生き物(特に魚類)の絵が印象的だ。
ANNEXの真っ白な壁に飾られた、本田さんが描く生き物たち。
絵ばかりではなく、石膏粘土で作られたオブジェ作品も展示されていた。
それもまた、本田さんの創造された生き物であり、
一瞬、驚いてしまうほど鮮やかな色で彩られている。
少しどぎつい印象も受けるのだが、よく見れば、その目は優しい。愛嬌がある。
キャプションに貼られた、売約済みの赤いシール。
本田さんが送り出す生き物たちが、玄関や、机の上などに置かれたとき、
生き生きと動き出すのではないか……。
そんな想像を重ねて、思わず微笑んでしまった。
ANNEXの突き当たりにある、ガラス扉を開けると、ふと、森の中に迷い込んだような光景があった。
モクレンの白い花が目に焼きつく。しばし、ぼうっと春に身をゆだねる。
こういう時間をもっと大切にしたい。

***

25日、NHK「短歌日和」を見る。
5時間にわたる生放送で投稿された短歌を紹介し、その場で審査するというもの。
短歌の下読みをされるという方から、番組の宣伝を受け、面白そうだと思ったので録画。
石原ユキオさんの投稿された短歌が読まれ(確か、選ばれたのは穂村弘さん)、
思わず「あああ」と叫んでしまった。
石原さんのことはよくは知らないけれども、叫んでしまった。
どこから、叫ぶような力が湧いてくるんだろう。おばさんみたいだ笑。
生で投稿なんて、私にはそんな俊敏な行動がとれそうにもない。
とっさに思いつく、ってやつだろうか。
悲しいかな、まるで縁が無いぞ笑。


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by moonpower0723 | 2009-04-30 23:15 | 美術部の人々、札幌アート

骨の雪を積もらせて

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喪服の黒い背中に
はらはらと降り積もる骨の粉。
箸を握ったまま、ふと見れば、私の制服の肩も白い。

祖父の骨を、箸で拾った。


砂糖の一匙でいがみ合う母と祖母に
いつもは聞き流せる祖母の執拗な呼びかけが、どうしても苛立つ今日に
降り積もれ。
全てを隠しておくれ、骨の雪。


生まれたからには仕方がない。
生きなくては。

結果的に老いても
呆けても
嫌われてしまっても
素知らぬ顔で生きなくては。

骨壺の中では
焼きたての熱い骨が
乾いた音を立てるのだ。

涙が、出た。



死んではいけない。



理屈ではなく、
ただそういうことだと知った。



祖母が死んでも、私は泣くだろう。



ろくに話もしたことのない同級生が死んでも
私は泣くだろう。



骨の雪に、
見入ってしまったから。

家に吹き荒れる、ちょっとした嵐だって
きっと私はどこかで愛しているのだ。


失っても、失っても
こちら側にいる私たちは
生きていく。

骨の雪を積もらせながら。
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by moonpower0723 | 2009-04-23 20:46 | しるし

春だって悪くないはずだぜ。

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長年、インドア派と思い込んできたけれど、最近は明らかに違うみたいだ。
家の中にいると、内に籠り過ぎて、自分を見失いそう。逆に疲れてしまう。
だから、意識的に外へ出る。
あの地下街はいつも賑やかで、
あそこの壁はいつも白くて冷たくて……
通いなれた場所に会いに行くのだ。
お金を使ったり、自分の足を使ったりして、ときどき望みを叶えながら。

美術祭に目をつけて、セントラルへ。ついつい長居。授業で油絵をとったので、オイルや筆洗油を購入。授業と美術部の大きな違いは、道具が自分持ちであること。ふー。マスキングインクがどうしても欲しくなり、買ってしまった。どんな絵に使おうか。蛍光ピンクのアクリル絵の具、もしかしたら学校の上靴にワンポイントで塗ってみるかも。中綴じ用のホチキスをようやく発見した。君、こんなところにいたんだね。

「佐野妙子 富樫はるか2人展」を見に、4プラホールへ。
今年で4回目だという2人展。去年は偶然立ち寄ったのだけれども、
毎年やられているというのは、すごいことだなあと思う。
佐野さんの絵は春の雰囲気いっぱいで、あたたかい。
線がやわらかくて、つい目で追ってしまう。うさぎのようなものが飛び回る。少し目移りする。
一方、富樫さんの絵は、日本画の画材が使われており、しっとりと落ち着いた雰囲気。
柄物の布に描く手法を生かして、重たさを軽減。楽しさがある。
富樫さんの楽しさが100%発揮されているのが、絵本「おやじちゃん」だ。
展示されている絵とのギャップもあるが、両方とも「楽しさ」は共通しているように思う。

CAI2へ初めて行ってみた。
おそるおそる飲食店街を通り抜けると、あったあった。秘密の地下室みたい。
写真家の竹田真一郎さんの個展「風の行方」を見る。
雪の降りしきる夜に、撮られた街灯の写真が印象に残る。明かりの周りを雪が旋回しているかのよう。
「雪は、光のもとに集まる羽虫のようだなあ」と思ったことがあり、それと重なったのだ。
竹田さんから、お巡りさん大集合、みたいな写真を撮影したときのエピソードを聞かせていただいた。
隣のraumで開かれていたグループ展「the IMAGIKAL」を見ていると、声をかけられた。
なんと、栄通記を書かれている丸島さんだった。
「どの作品が好き?」と聞かれて、うまく答えられない。
「好きなんて一番簡単じゃない。この中で1点持って帰るとしたら?」
悩んだ末、「好きなものは、ないです」と答えた。
「すごい」作品がほとんどだったけれども、
「好き」というのはそれよりも一歩近づいた感情だ。
個展とは違った、バラバラの個性を目にして、私はちょっと途方に暮れた。
丸島さんは、ご自身のブログで展覧会の情報や模様を詳しく記録されている。私の受賞のニュースや作品を載せてくださったこともある。
けれども、その綿密な記録ゆえに内情はなかなか厳しいものがあるようだった。
そのうえで、丸島さんは、私がこのブログに先日某氏の文章を引用したことに対して、
「文学を目指しているのに、引用なんてよろしくない。
コピーではなく、自分自身で打って他の人の文体などを感じたり、要約するなりするべきだ」
と忠告してくださった。
ああ、こういう御考えでご自身もブログを書かれているのだな、と丸島さんの信念をひしひし感じた。
引用はもっとも楽で、格好のよい方法だけれども、だからこそよろしくない。
そもそも、要約が困難ということは、その文章を自分が理解しきっていないということだろう。理解しきっていない文章を引用するなんて、恥ずかしいことをやらかしたと思う。本の紹介じゃあるまいし。

ジュンク堂で杣田美野里さんの写真展「礼文と利尻 花くらべ」を見る。
美野里さんとは直接お会いしたことはないが、実は彼女の娘さんと非常に個人的な関わりがある。写真から礼文・利尻の自然への愛があふれ、伝わってきた。礼文の花は落ち着いた色調で、利尻は少し派手かも、と展示されている写真を見た限りでそう思った。資料として置かれている本に目を通して、思わず微笑んでしまった。娘さんを撮った写真や描いたイラストとともに、島での暮らしが紹介されている。美野里さん一家の生活を思う。いいな、愛がある。

デザインの本棚の前にしゃがんで、ブックデザインにおけるフォントの効果について考える。
考えたけれども、わからぬ。

***

この一週間、詩のことを考えて、詩を書いている。
私の生活の中では、むしろ詩を書いている時間のほうが珍しい。
毎日詩が書ける人っているのかな、いるんだろうな。

美術準備室の雑誌をあさっていたら、
ものすごく気持ちのよい狂い方をしたアートな読み物があって、
「これ面白いよ!」と部員たちに勧めていたら、
先生に「それを書いた人はもう死んだよ」と言われた。
「死因は明らかにされていないけれどね」
野田凪さんという女性の方。YUKIのPVや、半分がパンダで半分がネコの「ハンパンダ」で有名。
調べてみると、去年の9月に亡くなられている。強い鎮痛剤の誤飲によるもの、とされている。
が、あまりにも国内で、死去の報道がされていない。なぜだろう。
そのことでさえ、野田さんの演出のように思えてしまう。
ああ、想像妊娠キット欲しかったのに。すごく残念だ。

文学やめようかな。
……なんて。
大学進学における話だけれどもね。
文学は好きなのだが、
文学を高額な毛皮のように着込んで闊歩しているような人からは極力離れていたい。
私には文学をそんな風には扱えないので、劣等感を抱いてしまう。気圧される。恐ろしいのだ。
でも、あんなことをしたら文学がかわいそうだよ。
狭い一室で、ほじくり返されるような批評をされて、かわいそう。
けれど、そういうことが文学なの?疑問、愚問。
どんな環境に置かれても、自分が何らかの表現を(趣味であれ仕事であれ)するだろうことは確かだ。
それゆえに悩む。贅沢な悩みだと自分でも思う。

「外で、楽しいものでもやってるんじゃない?」やあ、祖母はお盆やお正月が好きだなあ。
「まだ今は4月ですよ!」という母の声。そう、春だって悪くないはずだぜ。



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by moonpower0723 | 2009-04-18 22:19 | 美術部の人々、札幌アート

「詩と思想」4月号詩誌評/詩人、不適合。/詩集。

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「詩と思想」4月号の詩誌評にて、
伊藤浩子さんが個人誌「月光」について書かれています。


詩と思想 2009年 04月号 [雑誌]

土曜美術社出版販売



1ページ近くを割いて、創刊号から2号にわたって広く取り上げてくださいました。
「黄色い目」「洗濯日和」「新しい詩作」の詩句が引用され、
特に「花火」について重点が置かれています。
「花火」……発表当初はかなり反応の薄い作品だったのですが、
詩手帖年鑑のアンソロジーの収載作品に推薦されたのを皮切りに、
最近いただく感想の中には「花火」に関するものが増えてきました。
意外なことで嬉しいです。

評の最初の文章を引用します。

若さとはなんだろう? それだけで独立して一人歩きし、どこか本人の知らないところで花開いているような? あるいは体の中でぐるぐると回って、いつの間にかできた水たまりにのぞく空のような?

どんなお褒めのことばより、
伊藤さんから、こんな「詩」をいただけたことを喜びたいと思います。
勝手に「詩」などと書いてしまったけれど、この文章はかなり的を射ている気がします。素晴らしい。

伊藤さんは今回の詩誌評で、個人誌のみを取り上げて、
「ひとり」で活動する意味について真摯に考えていらっしゃいます。
私個人は地域的にも年齢的にも自分は「ひとり」だな、と感じることが多く、
また失敗も成功も自分ひとりの責任という一種の「気楽さ」が合っていると思ったので
「月光」を創りました。
他の方々はどうなのだろう。おそらくひとりひとりその動機は違うのでしょうね。

***

ユリイカ2008年4月号 特集=詩の言葉

青土社



今さらながら、1年前の「ユリイカ」4月号を図書館から借りて読んでいる(買え)。
正確に言うと、父が借りてきたのをかっぱらった。
話題になった特集「詩とことば」、最果タヒさんの中原中也賞受賞発表。
詩人であれ、周囲が何かについて騒いでいるときに、
その何かを読むのは感覚が狂いそうで、あまり好きではないみたい。
(だから、ゼロ年代詩の座談会も1年後に熟読していると思うな……たぶんだけど笑)
川上未映子の中原中也賞受賞をあまり支持できなかった方は、
もう一度、座談会「魂とフォーマットのあいだで」を読み返すべきだろう。
さらに「支持できない!」と憤然となる方もいらっしゃるかもしれないが。。
少なくとも、川上さんが「小説」と「詩」のことばをどう考えていらっしゃるのかがわかる。

中田健太郎さんの「言語の過剰と詩の叙情」という2000年代の詩に関する文章の注釈に、
(詩の領域の多用化をすすめる詩人の例として)私が出てきてびっくらこいた。
「生きのびろ、ことば」でもそうだったけれど、どうやら私は現代詩フォーラムや詩のボクシングの回し者みたいになっているみたいだ。やあ、光栄じゃないか、やあやあ!
ただ、双方とも情報が微妙に間違っているのが気になる汗。
私が「ぽえ。」に投稿したのは2回だけなのだった。んなこたーどうでもいいか。
でも書いてくださるのは、やっぱり嬉しい。

このごろ、自分は詩人に向かないと思う。そもそも詩人といっていいのか。
もう少し何か失う必要があるだろう。見失ったふりをして、ひとつのことに取り組むべきだ。
熱しやすく冷めやすいのは、長所だと自負しているけれど、仇となることも多い。
詩は好きだけれど、詩人という人たちはどこか色眼鏡で見ていて、正直好きになれない。
詩人にもいろいろあるのはわかっているけれど、悪いところばかり目に付いてしまう。
また、その世間的に言う「悪いところ」だけで詩を書いてしまう人がいる。
だから、私は詩人であることからできることなら抗いたい、逃げたい。
この「できることなら」という一種のひたむきさが、くせものだ。
狭いところにくすぶって、一つの小さな問題について、持論を弄する集団性が理解できない。
その楽しさはわかるけれども、意義がわからない。いっそう異様なものに見える。

若さに助けてもらっていることは承知の上で、それを失ったら、おそらく私の詩なんて成立しなくなる。
年齢って絶対的すぎて恐ろしい。
他人から憎まれるくらい、それを誇示してみるのもアリだと思う。
どうせあと3年もすればわかること。
いま自分は消える消えない以前に、現れてもいない。そのことしっかりと認識するべきだ。
詩集、のことについてここに書くのは初めてか。まあいい。
大谷さんから宣戦布告をされたので、書いてみよう。
初めての詩集、いい本にしたい。秋までに、なんとか。
本が出る、という受身姿勢ではなく、本をつくるという意識でいたい。
1編1編書いてきたように、1冊を編もう。


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告白。
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by moonpower0723 | 2009-04-15 22:50 | 詩の仕事

April comes she will

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4月になれば、彼女は、

と言うまでもなく、
もう4月も10日を過ぎた。

試験が終わって土日に入ると
書きたい。
ムクムク書きたい!

土まみれのふきのとうが台所で水につけられたまま。
その内、つくしも仲間に加わるだろう。
母は毎年張り切って摘んでくるのだ。
誰かを無理やり引っ張りこんで、共に摘んでくる……。
摘んでくるだけ。
今年こそ
きちんと調理されるとよいのだけれど。。

学校は相変わらずだった。
先生たちは受験のことか、もしくは
悔いのないように残りの高校生活を楽しめと
しきりに口にする。

私も高校一年のころは、
「中学校生活を楽しんで」と
後輩にずいぶん言っていたような気がする。
まあまあ、楽しいですよ学校は。
どうやらうちの学校には野獣もいるようで。
毎日サバイバルです。

嘘、冗談。

スカートが短くても
モラルに反さない。
あそこでは長いスカートこそが
公害のように見られる。
私も、スカートは適度に短い方がかわいいと思うので、
どうということもない。
ただ、外見から中身まで、
すっかりパッケージングされたような
野暮ったい男子や
野獣みたいな女子が
それぞれにゾロゾロ連れ出って
歩いているのを見るのはゾッとする。

ええと、
スカート短くて、化粧もするのに美術部で
(私がすっぴんになって喜んだのは先生より部員たち)、
髪を染めている子と話してて、他の人からぎょっとされることしかり
(あの子は私の知らないことを教えてくれる)、
文系なのに理系の子たちとお弁当食べてて
(数Ⅲや化学の愚痴話で盛り上がられても、ひとり沈黙……)、
詩書くけど、文芸部じゃないし、弁論部は入らないし
(なんで美術部って聞かれても……。弁論?)、
腐ってないのに、そういう女の子たちと学校に行くし
(二次元の話になると全くついていけない)、

この中途半端さがきっと気持ち悪いのだろうなー(笑)。
でも、こういう立場、嫌いじゃないと思えてきた。
おかげで、人間にも色々いるのがわかってきたもの。

先生たちの大半も、
型にはまった生徒との方がやりやすいんじゃないだろうか。
ギャルと話をしている方が楽しそうだしね、実際。

建て前とか通過儀礼とか
面白いね。

野獣に関して、いらない解説を加える。
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by moonpower0723 | 2009-04-11 18:05 | がっこ

佐佐木方斎展「メタレリーフ」/研ぎ澄ます。

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今日から、学校がはじまった。
ブレザー1枚で外に出るのは久々で、とても新鮮な心地だった。
自転車解禁で、家から駅まであっという間だ。
学年が変わると、バッチの色が変わる。三年生の色は一番暗くて、重たい。赤いバッチを付けていた(一年生の)ときは、その重さに何となく憧れをもっていたのに、そこに自分が到達したということが、おかしな気持ち。付け替えるとき、教室中にネジをまく金属音が鳴り響いていた。進級は機械仕掛けのよう。

昨日は、佐佐木方斎さんの展示を見に、テンポラリースペースへお邪魔した。展示のタイトルは「メタレリーフ」。展示の案内をご覧になった(現在は横浜の)Tさんが「メタレリーフってなに?」という反応をされていた。私も、その正体がわからないまま、少しどきどきしながら、訪ねてきた。

案内の文章(オーナーの中森さんによる)を引用する。

***

佐佐木方斎さんの昨年、一昨年に続く3度目の個展です。 一昨年は床に臥したままの状態でしたが、彼の’80年代 の熱い活動を、格子群を主に、7,80年代の文化状況を 統括する「美術ノート」全巻。九州・韓国の作家との交流 を企画した北海道現代作家展カタログ等を展示しました。 また、昨年は’90年代を象徴するような「meta絵画」 。30層に白く塗り込められた孤立無援の彼を顕したかと 思います。今回の「メタレリーフ」は。その残されたメタ シリーズ最後の作品群と思われます。 このメタシリーズにこそ、隠された佐佐木方斎の’90年代 が潜んでいるかに思えるからです。 自宅をTギヤラリーに改造し、’90年代初頭まだ珍しかった パソコンを駆使し、千人単位の人とチャットし続け、個として 時代に開こうとした孤立した闘いの痕跡がそのメタシリーズに はあると思います。 熱い’80年代、孤立した’90年代を経て、我々の現在が あります。その底流を再度見詰め、顕在化する努力を今回の 個展を通して再発見して頂ければと願うものであります。

***


「メタレリーフ」の正体。それはスクラップ――捨てられた天井板材を研磨し、着色したものだった。
佐佐木さんが90年代後半に制作された未発表作品だ。
防音の部屋(音楽室などが馴染み深い)に使われる天井板材は、マス目のように四角が盛り上がり、凹凸。近くで見つめていると、ふしぎと懐かしさがこみ上げた。失礼ながら、マーブル状に着色されたそれを見て、私は〈おばあちゃんの家のお風呂のタイル〉を思い起こしたのだった。遠くで眺めるよりも、近づいて観察する方が、断然面白い。ひび割れた絵の具は、薄い銀紙を破いたチョコレート(もちろん、板!)のよう。乾いた感じはウェハースかな。「おいしそう」と言ったら、中森さんに笑われてしまった。ええ、スイッチのように飛び出たものをつまんで、口に放り込みたくなる。昔懐かしい大きなキャラメルをほおばるように。ほとばしる稲妻、少女の横顔、供花を彷彿とさせるもの、非常に想像力をかきたてられた。ひとつの「メタレリーフ」が小さな四角の集まりであるため、四角と四角の隙間に想像できる余地が与えられているように思う。
中森さんは、「メタレリーフ」を「私たちの’90年代を象徴して現在に繋がる」作品とし、次のように語っている。

***

ゴミの保つコンテンポラリーな性格、ビニール袋一枚の日常性が保つ国境なき同時代性をアメリカ式の文化・文明の止揚を抜きに今という時代を考える事は出来ない。佐佐木方斎さんが、炎のような’80年代を経て、この消耗文化の象徴たる天井板材を素材にこうした作品表現を試みていた事は、現在の時点でももっと評価されて然るべきなのだ。

***

もしかすると、私が「メタレリーフ」から感じた、懐かしさや、生活感。
それは私が生まれた90年代そのものだったのかもしれない。

また、「美術ノート」(86年から87年にかけて、佐々木さんがほぼ独力で発行された隔月刊誌)や、作品集「格子群」「余剰群」「自由群」を拝見。「格子群」「余剰群」を見ていると、ブルーナがデザインしたペーパーバックの表紙を想起する(けして似ているわけではないのだが、ペーパーバックのデザインにはぴったりだと思った)。「余剰群」で赤い四角が溶け合ったようなものに惹かれる。「自由群」では、心臓型の赤と、心臓の左わきにすっと緑の入った作品が印象に残った。たくましいトマト。
ご自身の作品にはもちろん、北海道の作家を発信していかれる姿勢に、佐佐木さんの熱意を強く感じた。
(佐左木さんは他の方の作品の解説までしてくださった!)

北海道美術ネット別館で、
「格子群」の写真を見ることができます→コチラ


椅子に腰かけ、櫻庭洋一さんの歌集(佐佐木さんの手により、出版にこぎつけたという)を読みふける。だんだんと日が落ちて、左肩が冷えてくる。月明かりを飲み込むと、腹の底でも光っているのがわかる、というような歌。詩の紙は食べるが小説の紙は食さない山羊の歌。病床で身を削って3000首を詠んだそうだ。

私は思いを巡らせることが好きだ。他人の作品からあれこれと想像したり、作品と何かを繋げたりしてしまう。そのため、呆れられてしまうことも多いけれども、その行為は感覚への自信を取り戻させてくれる。だから、思いきり感受性を飛ばしてやろうと思う。うんと遠くに飛ばしてやりたい。そのことがきっと私を強くする。鳥の目になろう。騒ぐことなく、見つめよう。眺めるのではなく、観察しよう。いろいろな人生を生きてみたい。次のページをめくる前に、私だったらどう書くか。創作に向かう姿勢はどうか。どう人を想うのか。

研ぎ澄ますのだ。



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by moonpower0723 | 2009-04-08 23:58 | 美術部の人々、札幌アート

春休みの冒険

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知らない道を歩いてみたい。
空間の目になりたい。

●ギャラリー ミヤシタ 1F 秋田智江展 
-STORYのいる場所III HOTEL NO PARAISO-


栄通記の記事(写真有)

たくさんの色とたくさんの丸。時々跳ねる、ぶつかり合う、散る!
泡のように湧き上がり、ぽこぽこ音を立てる。飛散しながらも、集っている。
〈小さな絵が集まって、ひとつの作品〉、すこし離れて見てみると、家々のような。向かい合うのは、〈大きな作品〉。すっと刃物で裂いてやれば、その白地の壁面から無限に色とりどりの卵が吐き出されるのでは、そんなイメージを思い描く。ふくらみのある絵だった。首に下げていたネックレスを秋田さんに褒められる。

●ギャラリー ミヤシタ 2F  カワシマトモエ個展

別の展示だが、参考として栄通記の記事(写真有)

キャンバスからはみ出さんばかりに描かれたリンゴ。雲間から覗くリンゴの頭。電球のように吊り下げられた洋ナシ。緻密なタッチで描かれた、2個つなぎのサクランボ。インパクトある果実の絵が展示されていた。カワシマさんはここ数年ずっと〝まるい〟ものを好まれて描かれているそうで、会場に置いてあったファイルから、その軌跡が辿れる。展示されていた作品の一部はすでに売約済み。小さいサイズの絵は、確かに家に持ち帰りたい愛らしさがある。それにしても、果実ひとつで、色味、かたち、切り分けたときに顔を出す、果肉、種子の詰まり具合、これほど違うのか。個人的には、ヘタを目指したリンゴの窪みに沿って、グッと力強く回り込む曲線が好きだ。

●カフェ エスキス 安藤文絵展 Painting project in NY -ニューヨークでの1ヶ月間の軌跡-

NYでの展示の模様

展示の副題の通り、NYで作品を展示した際の報告を目的とした展示である。カフェと展示が同居しているので、1点1点にじっくり目を向けることは難しかったが、NYで行った展示の企画自体がとても興味深く思えた。会場にベッドを設置し、集まった人々の手でそのベッドに絵の具を塗ってもらった、という。「手」というのは生身の人間の「素手」だ。安藤さんが「報告」として書かれているように、「手をよごす」という慣用句には「悪いこと・好ましくないことを行う」という意味と「自分の体で実際に体験し、その苦労を味わって物事を行う」という対照的な意味合いも含まれている。心地の良い居場所の象徴としてベッドを据え、それを「手でよごしてもらう」制作行為を通じて、安藤さんは現在のアメリカを感じたという。「報告」には、オバマ大統領の演説の一部も引用され、他国で自分の作品を発表することに対する、作家の強い意識が見えた。そして(?)、私はハムとチーズのホットサンドを食べた。

●ギャラリーエッセ 渋谷俊彦個展-蒼い雫09

栄通記の記事(写真有)

白い石膏。円形の側面に丁寧に描かれた、雫。水のイメージらしいのだが、人によって違うらしく、私は宇宙に浮かぶ星雲を想像した。ばかげて聞こえるかもしれないが、昼下がりの閑散とした遊園地、とも感じた。自然光がやさしく降り注ぐ会場。四角い台が据え置かれ、その上にひとつひとつ無秩序に発生する〝雫〟と水たまり。〝雫〟の下にできる丸い影は、ティーカップを受ける皿のようで、それが「遊園地」なのだった。街の喧騒から逃れた、郊外にある人気のない小さな遊園地。もちろん、展示を見た最初の印象は「自然」だったのだけれど、誰かのための「特別」「秘密」を抱えた空間であるようにも感じられた。今回の展示最後の客(!)ということで、〝雫〟に触らせてもらえた。石膏を固める段階から、版画と筆での着彩まで、ひとつを作り上げるのに、とても時間がかかる、というお話。手触りはとても心地よく、人肌によく馴染む。それでいて、石膏自体の重みがあり、何となく〝物〟という感じがしなかった。「好きな場所に置いていいよ」と言われ、小さい〝雫〟に近い位置に置いてみた。


春休みの冒険。まだ足を運んだことのなかった三つの空間にお邪魔した。方向音痴が心配だったが、幸い何事もなかった。朝は二度寝してしまい、起床して時計を見ると11時30分ちょうど。と、その瞬間に北朝鮮の人工衛星だかミサイルだかが発射されて、母がお祭り騒ぎをし始めた。つられて、私もちょっとどきどき。発射は、私の起床が基準だったようだ。いつもの半分の時間で英文3題復習して(どれだけ普段ちんたらやっているかという笑)、家を出たのだった。

帰りに、改装してから初めて某書店に行った。改装、というか書店自体が別の店と入れ替わったのだが、棚などは以前のままだった。しかし、中央の通路が広くなって通りやすくなり、カフェもできた。大型書店+カフェっていうのは、もう当たり前なのかなー。詩集のコーナーがすごい縮小されていて、ショックだった。三○堂は詩集を置いてくれないのは、別の支店でも知っていたけれど、残念だ。「イラストレーション」、酒井駒子さんの本のセレクトが私の好みと一緒。わーい。アクリルアワードの受賞作品が誌上掲載されていた。森本さんの絵、雑誌のサイズでもこの迫力。実物はどんなだろう。

見えないこと、見えてきたこと。
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by moonpower0723 | 2009-04-05 22:37 | 美術部の人々、札幌アート

掘り出す春。

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昨日から春休みに入った。
といっても8日からはもう学校なので、大切に過ごさなくてはあっという間だ。

さあ、春を掘り出しにいこう。

お昼過ぎに家を出る。雪山は路肩に残っているけれども、歩道はほとんど溶けきっている。空が曇っていて少し残念。でも、春だ。今日から法律上、高校三年生である。老けたなあ、という感慨に浸りながら街へ行く。

B・C・Sに納品。売り上げをいただくときに領収書がいるのはわかっていたけれど、今までの委託先では求められなかったので、「ください」と言われて焦る。お金をきちんと明細書付きの封筒を入れてもらえて、なぜだか感動してしまった。生の小銭で、孫への小遣いのごとく、ポン、といただくのに慣れていたためだろうか(それはそれで素敵)。領収書、りょうしゅうしょ、忘れないようにしなくちゃ。勉強になるなあ……。改めて、よろしくお願いいたします。

ようやくgallery new starへの正確な順路がわかった。今まで、あんなに遠回りしていたのか……。自分の方向音痴に頭が下がる思いだ(下げちゃダメ!)。あっさり目的地にたどり着いて、びっくりした。反面、なにか味気なく感じた。
Keiko Kawanoさんの「# world」という写真の展示だったのだが、あの小さな空間の至近距離で、半ば強制的に、色の強い(それは、色彩の意味と、もうひとつの方も込みで)写真と見つめあうことになる。それを拒もうとする人もいるだろうし、むしろ魅せられてしまう人もいるだろう。やはりというか、私は後者だった。フリーの冊子が置いてあったので、一冊いただく。片面の壁と、ブラックボードががら空き。会期が今日からのためか、空間もまだ発展途上なのかもしれない。まっさらな感想ノートに数行ぽつぽつとしたためてきた。

古本屋さん・八光書房を訪ねる。かなり歴史あるお店だが、リニューアルしたのでとっても新しく見える。入り口でスリッパに履き替える決まりで、置いてあるスリッパの8割が健康スリッパ(ツボ押し)という笑。まずは自動ドアが開いたことに、安堵。気まぐれに定休しているので、ここ数ヵ月ずっと振られていたのだ。素敵な器でコーヒーをいただいて、店長さんとおしゃべり。楽しい。河合隼雄の「魂にメスはいらない」(ユング心理学に関する講義と、特別講座として〈谷川俊太郎詩解釈〉を収録)を購入。250円なり。

古物雑貨のお店、十一月へ。ここも久しぶり。店外にある古本の品揃えが好みなのだ。「暮らしの手帖」バックナンバー、表紙の移り変わりを見る。外国の少女のポートレイトや、藤城清治の絵など、「え、これが暮しの手帖?」と思う号があり、新鮮。手帖の看板エッセイ「すてきなあなたに」をまとめた、同タイトルの単行本に目がとまった。カラーの箱入りで、中身にも花森安治さんのイラストたっぷり。誌面の雰囲気もそのままで、楽しめる。わー、あんたのほうがすてきだよ。さらに、店内へそろり、と入る(ここのお店では、寡黙な少女を演じなくてはならないのだ)。変わり文字の金属製活字を発見。欲しい!さんざん迷った末に、梅の花と、□、∮、■(の中に星マークが彫りこまれている)を選ぶ。花の形なんていっこいっこ違うものねえ。「すてきなあなたに」が300円(!)、梅の花300円、他みっつで300円。すごく満たされた。活字、絶対どこかで使います。店のあちこちにある但し書き(結構ツボ)に、素直に従える方、ぜひ十一月を訪ねてみてほしい。

そのあとは、春の靴(履きやすくて気に入っていたので、5年同じ靴履いていました。さすがに穴が開きそう汗)を探しに四プラへ。プール帰りのませた小学生みたいな人や(春とはいえ、ショートパンツに生足は寒いはずだが……)、大型肉食獣みたいな女の子たちがゾロゾロ。シャッター街との落差に私は頭がクラクラ。
「ヒール」「おしゃれ」などという希望があったのだけれども、実際に買いに行くと「やっぱり黒が合わせやすいし、経済的」(ちなみに5年履いた靴も黒)、「ぺったんヒール(ヒールの足が独立していないタイプ)が履きやすそう」といろいろ考えて、結局店の奥のほうにあるぺったんヒールを買った。これはお買い得すぎて、お値段ひみつ。おほほ。
華アグラが見つからない。最初、また方向音痴かよ……とうんざりしながら、探し回ったが、やっぱりなかった。いまだに自分の方向感覚を疑っている。本当になくなったのだろうか?そういえば、前行ったときもなかった気がする。

いっとう好きな本屋さんへ。「詩と思想」がいつもある場所にない。これは方向音痴のせいでは絶対ない(本棚で方向音痴になることはありえないから)。変だな~と思いつつ、時間が遅いので帰路をたどることにした。

帰宅したら、なぜか父が「詩と思想」を持っていて、「これ、どこで買ったの?」と聞いたら、私が行ったのと同じ本屋さんだった(あんぐり)。ちなみに、私が行った一時間前に買っていたらしい。「私が買ってくるから、大丈夫」って言ったじゃんかー。ま、いいか。詩誌評担当の伊藤浩子さん、拙作品について書いてくださって、ありがとうございます。

そんでもって、祖母の94歳の誕生日祝いをした。
ケーキの大きさに主役の強烈な存在感を感じる。祖母はいろんな意味で別格である。偉大である。

掘り出し物の多い一日だった。寄せ集めれば、春なのかな。
勢いで、春野くつ子さんの写真を載せてしまった(次の記事参照)。
でも、あれは私の足ではないのでね(じゃあ誰?)。
ご期待(?)に添えず、ごめんなさいね笑。


読んでくださり、ありがとうございます。

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華アグラは、別の場所にリニュしたそうで。。
広くなったみたいですねえ。よかったよかった。今度行ってみよう。

ま、
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by moonpower0723 | 2009-04-01 23:59 | 美術部の人々、札幌アート
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文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723
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