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雲が流れていかなくて、
苛立っているときはおそらく
自分が立ち止まっているせいだと思う。
苛立ちだってせっかく生まれてきたんだから
立ち止まっている足に
ぶつけられた方がまだ救われるだろう。


私の学校の放送局が大会のラジオドキュメント部門で
私のことを取り上げてくれるみたいです。
そんな大事な大会なのに題材が私なんかでいいの?
と何度も諭そうと試みましたが
目を覚ましませんでした。
でも私の話に、真剣に耳をかたむけてくれて、とても嬉しかったです。
(彼らは詩のボクシング側の活動についてのみ、私のことを知っているようです)

取材と聞き、当初は大会用ではなく、学校で放送されるのかと勘違いした私は
うまく応じられるかどぎまぎして、
「待ち受け画像のポエムも私は詩だと思います!」
と大ボラをふかざるをえないだろう、とか
「先生にすすめられて、むりやり出場させられたの!」
と主張してみようとか
(実際はあまり賛成されてなかったのを、私が押し切った笑)
とにかく、どれくらい本当のことを言おうか考えていました。

けれども、あくまで放送に対して真っ直ぐな彼らを見て
偽ろうとしていた自分が阿呆だったと思い、
初取材だった一昨日、なるべく真意を話しました。

そのとき、彼らにこんなことを問われました。
「書くようになって、
今までの自分と変わったことは?」


頭の中でもう一度ゆっくりと唱えました。

「書くようになって、
今までの自分と変わったことは?」


ところが今から思い返してもその質問がわからない。
どうしても
書くようになって、
ということばでひっかかってしまうのです。
私が童話のようなものを書くようになったのは小学校2年生のとき。
それ以前(幼稚園くらい)にも、絵本のようなものは書いていました。
では、何も書いていなかった頃の私は何だったのかというと、例の3歳児シリーズ(詩のテーマとして。勝手に命名)になりはててしまう、記憶に住むただの他人でしかないのでした。
作家を目指して、賞に応募する、日記をつける等の具体的な行動をとるようになったり
詩を書くようになったのは、小学校4年生くらいから。
確か、小学校高学年から中学一年生にかけて、おそらく一番本を読んでいて、
二週間で10冊とか、多いときは15冊くらい読んでました。
けれども、ことばは読むものというより、書くものであるという観念が
そのころからあったと思います。

結局、つまった結果
「常に書いていたから、変わったかどうかはわからない」
という妙な回答になってしまいました。

書いていなかったときと書くようになってからを比べるのではなく、
書き始めたころと、今を比べてみると
周りの反応が明らかに変わっているのは確かです。
(あたたかいまなざしから、冷たい視線に。
甘い御世辞の嵐から、あらゆる道への指南の指先)

けれども、私の行為自体はあまり変わっていません。
昔から、書くことに熱中していると時間を忘れてしまいます。
鉛筆ダコから血が出ても、熱で涙や汗が滴っても
白い紙はそれらを、ことばと共に吸いとってくれました。

しかし、行為は同じであっても、
8歳の私と16歳の私の意識は違っているのです。
もっと何かを追求したいと思っている。
もっと作品に価値を与えたいと思っている。
このままではいけないと、常に走っている。
飢えている。(もっと、もっと、線路から外れたところへ!
私よりもずっと
高みに立つ人たちがたくさんいるのがわかる。
見下ろされると、
生意気にも悔しいと思う。

昔と今、違わなくてはなりません。
例えそれが他の人から見て悲しいことであっても
何より必要なことだから、自分に課します。
愚かなことに
私はそれら全ての苦しみを、快いと感じてしまうらしいのです。
そして、もはや「書いている」という意識がありませんでした。
何かに感じ入れば、かりたてられれば、すぐさまペンを走らせる。
形容できないものを身体へ、身体からことばへ、ことばから作品へ
変換する。
そのように私は出来ているのです。
たとえ死をもってしても
その変換行為を止めさせることが可能なのか
私自身疑います。

変化かどうかはわからないけれど、
書けば書くほど、私はことばが好きになる。
ことばから離れられなくなる。
ことばも私からきっと離れてはくれない。
それは絶対の関係。
でも、いつまでたっても
書くことに安心なんてできない。
気を緩ませたら、あっという間に
落ちていくんだ。


だから、変化など恐れずに
ただ書くことを
続けていくしかないの。






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by moonpower0723 | 2008-02-08 21:23 | 詩の仕事
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いい加減な人間は
嫌いだ。
同情もよせたくない。

そんなことで弱るなんて
私よりずっと器用に生きているくせに
生意気。

あいづちは打たない。

一度助けられたくらいで
恩を感じた
私も愚かだった。
これ以上
関わっても
これからの私には
利益がない。
これが回答。

許してやるから
もうあっちへいって。
傷の舐めあいは
他の人とした方がいい。


私はひとり激しく
顔をあらうだけ。




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by moonpower0723 | 2008-02-07 22:22 | わたし
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現代詩手帖 2008年 02月号 [雑誌]
/ 思潮社






今月号は、燃え立つような赤い表紙。思わず黒い煙を指の腹でこすり、擦れて汚れないことを確かめてしまいました。何かを燻しているかおりが、私の鼻をかすめたように思えました。

投稿欄。

「お酢ときゅうり」が、入選・掲載です。

藤井さんと蜂飼さんのお二方に選んでいただけました。

今回の入選は、とても悔いが残る結果です。
「お酢ときゅうり」は反省点が多いのです。
蜂飼さんのおっしゃるとおり私自身も「推敲が足りなかった」と
投稿した直後からかなり後悔していました。
後半リズムが崩れていますし(食べ物で遊ぶという行為は…のあたりから)
()には今回きちんと意味をもたせたかったのに、
はっきりと意味を伝えることが出来なかったと大反省。
いままであまり私が書いてこなかったような作品になったので
入選できるか不安でもありました。
正直、掲載が嬉しいというよりも安堵、そして羞恥を覚えました。
内容は、いままでで最もオープンな恋愛詩です。
とはいっても私のことなので、恥じらう感覚に侵されています。
客観的に見ると曖昧です汗。
だってね、いきなり河童巻きを食べてるのよ笑。
しかも夜9時半くらいに(親が留守で安いチェーン店出前とってるの)、
外の雪を見ながら、干からびた河童巻きを私はひとりかじってるわけですよ。
ジャンクフードならまだしも、河童巻き汗。
私、ピザ屋の出前ってとったことないんですけど
ピザ食べてる16歳の方がまだ健全かも。

推敲がたりないとわかっているのに
投稿欄に載ったままのかたちで掲載するのもおかしいので、
ネット上(ブログや現代詩フォーラム)には手直ししたものを載せようかと思います。。。
ごめんなさい。
なんかこういうこと、二度としないでいきたいです。なくしたい。本当に恥ずかしい。

ともかく、私の母が今回面白がったのは蜂飼さんの選評でした。
河童巻き、好きですか。私も好きです。かんぴょう巻きも。

いつものあの冷静な文章に、突然生活感あふれることばがでてきて、驚きました。

面白かったのはそこの部分でしたが、
同時に書いている私自身が気づけなかった道を
お二方に選評で照らし出していただけたようで、とても感激しました。
例えば、

蜂飼さんは、「裸のきゅうり」という表現を通し、ものを書く上での分岐点を示してくださりました。
藤井さんは河童巻きを三回に分けて食べている点を、再び新しい作品を構築するように解説してくださりました。

この選評を読んでいると、詩を書くことがますます楽しくなるようです。
正直、いままで二年、投稿欄の選評を読んでいて、真摯な気持ちになることはあっても、楽しさを覚えることはあまりありませんでした。

投稿欄、ほかに気になった作品。
河邉由紀恵さんの「はべらのニルヴェーナ」
はべらということばが連続しますが、不思議とくどくありません。
しかも、連を連ねるごとに面白さと美しさが増します。

もう一作くらい紹介したいと思い、探してみましたが
あと「うまい」なという作品ばかり。「うまい」だけって気もちょっとします。
いたたまれなくなりました。自分の作品も、やはりまだまだ弱いと思いました。

最近はそうでもなくなりましたが、以前は年齢のことをひどく気にしていて
何かあるたびに
「14歳だからといって、甘くみてくれるのはやめてくれ。どーたらこーたら」
みたいな文句を書き並べていました。超感じ悪い中学生だ汗。
そういう文句でさえ、甘えであったことをいま思い返します。
甘える余地があるのは良くないし、邪魔。
けれど、余地がなくなったとき自分がどうなってしまうのか怖い。
なら、いま頑張るしかない。

先日、PCのファイルを整理していたら、詩学新人の写真候補(総数145枚汗汗)がでてきました。びっくりしました。たった一年前の写真ですが。。。
今だって言えたものではないけれども、ここまで垢抜けてなかったのか。。。
なんかこけしみたい汗。白いコートにグレーのマフラーで田舎娘を彷彿とさせています笑。
自分で言うのもなんだが、この顔で、毎日本開いて席についてたら、そりゃ孤立するわ汗。
外見は変わったけれど、中身は幼稚化している気がします。母からも指摘をうけました笑。
なんていうんだろう、歳を取ることに対してたぶん抵抗力がはたらいてるみたいです。

気に入らない。
やりたいことに言い訳はしない。
とげられなかったのも、不満が残るのも自分のせい。
未熟なせいにしない、
未熟は克服するもので、甘んじるものじゃない。



報告し忘れてましたが、第18回伊東静雄賞の最終選考50編に残ってました。
落ちたと思い込んでいたら、先日受賞作掲載誌が届き、
見てみると、私も佳作(名前のみ掲載)にひっかかっていたみたいで、焦りました。
でも、佳作48編だからなぁ。。。応募総数も677編。
このご時世、詩1編に50万円の賞金って凄いと思うのに、そのわりには応募総数が少ない。
伊東静雄賞受賞作は、とにかく人が亡くなる詩が多くて、
第16・17回のときはかすりもしなかったので、
今回、そのことを頭に入れて(よするに死をテーマに)書いてみたところ残ってしまいました。
その変わりようが、あまりにもはっきりと生々しくて、
なんかもう、二度とそういう賞の傾向だけを見て、作品を捻じ曲げたくないと思いました。
反省!
第18回伊東静雄賞 結果





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by moonpower0723 | 2008-02-05 21:54 | 詩の仕事
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詩人の森川雅美さん主宰の詩誌「あんど 8号」の“共作詩”企画に
参加させていただきました(‐^▽^‐)


共作詩、具体的に申しますと参加者ひとりにつき五行の詩を考えて、それを主宰の森川さんが組み合わせるという企画です。
若い詩人たち中心ではありますが、大御所といえそうな参加者の方もいらっしゃいます。参加者全体は総勢20人以上。さすがに人脈が凄いですね。
最も面白いところは、誰がどこを書いたのかわからないところです。
予想しながら読んでみるのも楽しいと思います。私のは相当わかりやすいのでは笑。

***

「あんど 8号」で共作詩以上に興味深かったのは、散文の欄。
“これから詩を書くきみへの手紙”というテーマで新川和江さん、福間健二さん、井川博年さんがお書きになっていらっしゃいました。以下は自己責任でお読みください。

井川さんは若い詩人には「期待しない」と宣言されていました。それがあまりにも気持ちいいので、逆に新鮮でした。
ペンネームの問題についてずいぶん長くお書きになっていらっしゃって、どうやら若い人たちのペンネームに問題があるんだとか。
そこで、私の名前も実例としてあげられていました。
作品ならともかく、なんでそんなところで批判されなきゃいけないのか、真剣に考えて情けなくなりました。つまり井川さんにとって名前がおかしい人は作品を読む価値もないってことだわね。井川さんはとにかくいろいろな意味で、はるか高みにいらっしゃる方なのです。
自分の名前が変わってる、とは思っていましたが、おかしいとか変、とは考えたこともなかったですし、言われたのも初めてだったので、嬉しいような悲しいようなとにかく驚いて驚いて、混乱しちゃいました笑。それとも自分の名前って見慣れているから、特におかしいとも思えないのかな。ペンネームか本名かわからないような名前を使うくらいなら、少し派手なペンネームを用いる人方のほうが好感をもつ、というのはあくまで私だけか笑。変身願望っていうのは多少当たっているけれど、流行は私の場合、関係ないと思います。一応、おばあちゃんになっても使える名前を、と思って私なりに考えました。悠光という名前名づけ辞典で見つけました。詩の雑誌とも関係がないです。
“だいたいこのような名で雑誌に詩を投稿して詩を読んでもらうことを、変だと思わないのだろうか”
“文学をバカにするな、と言いたい”
その言及は蜂飼さんや小笠原さんなどにも及んでいる(本質は及んでいないことを祈ります)。
名前だけで文学を馬鹿にしたことになってしまうんだろうか。馬鹿をカタカナの“バカ”で表記しちゃうくらい、軽い人間だと思われてるのかな。私からしてみれば、軽さは一種の魅力。だからむしろ軽い人がほんの少しだけ私はうらやましいかな。本当は苦労しているのに、そこに軽さをもちこむって凄く勇気のいること。もちろんその軽さに甘んじていれば、忘れられていくだけの存在になってしまうんだろうけど、大衆をひきよせていく意味で軽さというのは必要ではないでしょうか。苦労なんて同情をひかせるために、顔のシワのばしながら、孫にきかせてやろうぜ。まぁ、そういう軽さが私には足りないんだよなぁ。って、これじゃあ井川さんがいう“おじさんたち文学だなんて何いってんの”という反応を私がしているみたいだなぁ。
正直言うと、今の私は名前負けしていると思います。悠々とした月光のふみ。でも、死ぬまでにちゃんとその名前の意味を他の人たちに示していけたら、と考えています。いまは意味がなくて当たり前なんです。だってまだ16年しか生きてないのに、最初から意味があったら、生きる楽しみは半減すると思うんです。どんな地味な名前もどんな派手な名前も、生き方次第で盛り立てることは可能ではないでしょうか。変わった名前をもつ方々に対して「名前が嫌い、だからその人の性格も素行も言動も全部イヤ」そんな人が存在したとしても、諦めて生きているのでは。。。それが文学を“バカ”にした行為だったようです。
ごめんなさい文学。私は心から君を愛している気でいたけれど、それは君の方では違ったみたいだ。君に救われて、そしてその波にとびこんでいきたいと思っているだけなんだ。ありがとう。
という陳腐なポエム。。。。
“何を言われても文句は言えないという覚悟が必要である”というのはその通りなのだけれど、名前に意見されてしまうと、それを通したら改名しなきゃいけなくなるし、認めないとなれば、やはり反抗ということになってしまうのではないでしょうか。ってか、たぶん一番正しい反応はただスルーすることなのかな。わからないけれども、どうやら井川さんは反抗を期待なさっているみたいなので、いろいろ考えて、でもやっぱり反抗しないことにします。
結局名前のことはどうでもいいから、“退屈な詩が多すぎる”ということばに、共感とも苛立ちとも思えぬ感情があふれ出てきて、こんなことを長々と書いてしまったのです。すみません。
ともかくともかく、実例として私の名前を使っていただけるなんて光栄でした。
たぶん井川さんがこれを書いたのは意図的なものなんだと思います。若い奴らの目を覚まさせようと、苦い良薬をまいてくれたのでしょう。そのかいあって、私は自分が何を感じているかわからぬまま、これを書き続けているのですから。
乱暴だけが詩人なのかな。
日本語も話せなかったけど詩人、らんぼう、今度改めて読んでみよう。
さて、“ランボーよ現れ”と叫んでいらっしゃる井川さんの詩、もっと読んでみよう。
それらのあまりの面白さに私は固唾を飲むことでしょう。

***

以上、私なりに「あんど」を宣伝させていただきました^^
良質な詩誌だと思います。同人の方々のやる気もかなり感じられます。

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井川さんの紹介ページを見つけました。作品も読めます。
ぜひ読んでみてください。

名鑑

プロフィール

感動しました。こんな凄い人に私は変な名前だと思われたのかと。
「期待してない」みたいなこといっぱい言われたいです。だいすき。





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by moonpower0723 | 2008-02-02 21:28 | 詩の仕事

文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723