東京という舞台。

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小六の春休み以来、東京には来ていない。
5年ぶりに訪れたところ、いろいろと圧倒されてしまった。
まず、腹が立つようなむし暑さである。
札幌でも夏に30℃近くなることはまれにあるが、カラッとしていて、風は多少涼しい。
こっちは湿度が違うんだろうな。
歩き去る人々を見やると、以外にもおしゃれな人が少ない汚い。
札幌の女性のほうが、よほど小ぎれいに装っている。
ちょっと動くだけで人とぶつかるので、びくびくする。
地元なら無差別殺人犯のニュースも他人事だが、
こんな人人人……の状況では、後ろから突然刺されても不思議じゃないなと思う。
山手線で片足重心の女児(推定11歳)の体毛の濃さよ。腕はもちろん、デニムパンツから抜き出た太もも、ふくらはぎまでびっしりと産毛が這っている。それを何の恥じらいもなく露わにするとは、恐れ入った。あと2、3年もすれば、彼女は血なまこになって、それらを削ぎ落とすだろう。あるいは抜く抜く抜く、一晩かけて、一本たりとも残さず、憎しみをこめて、ガムテープ(かなりの強硬手段。お勧めしない)を剥がす!
(海猫沢めろん氏は男なのに、脱毛エステに行ったそうだ。「群像」6月号参照)
さらに、電車の上が電車を走り、交錯していくとは信じがたい光景だ。
物干し竿との至近距離が恐ろしい。各家々の洗濯物がつぶさに見てとれる。
少々うんざりしながらも、たどり着いたのは、
都心に聳えたおもちゃの国みたいな某大学のキャンパスだった。

(以下、実際に言葉を交わしたことのある方は“○A子さん”、
それ以外は“××B太氏”と書く)

夕方5時半頃に、新宿明治安田生命ホールで催されている
「現代詩手帖創刊50年祭 これからの詩はどうなる」を見に行く。
催し自体は、昼ごろから行われているので、早く来れなかったことを残念に思いつつ(吉増さんも見たかった)、そぅっと入場。吉本隆明氏らしき人物がちょうど終わりの挨拶をしていたので面食らう。あのお方が吉本氏だとすると、1時間ほど時間がおしているようだ。(みなさん話が長いんだナー、まあいいや、ラッキー)真ん中の席をほくほく確保して、キョロキョロと偵察。詩のイベントだなんて信じられないほど、客の年齢層が若い。く、黒い!みんな髪が黒い!さすが東京だなあ、と何か感動してしまう。そうこうしているうちに、北川透氏をはじめとする豪華な面々が出そろい、シンポジウムが始まった。ひたすら眠る母の隣で、私は一応“熱心に聞き入る”ポーズをとっていたのだが、内心は気もそぞろだった。「あの詩人が動いている!喋ってる!あっ一瞬どもったぞ。おお、手もふるえた。お手洗いに行きたいのかしら」と、ミーハーな妄想が爆発していたかもしれない、恥ずかしい。
井坂洋子氏(シンポジウムのメンバーの中で唯一の女性詩人)の「賞をきっかけに光の当たった詩人も多い。詩集の賞が持っているフェアな態度が、詩を今に伝えているのでは」という発言、松浦寿輝氏が用いた比喩(詩=「切手」、詩を読む=「封筒を開けて手紙を見る」)と、第一詩集は厚さならぬ熱さが大事だ、という話、荒川洋治氏から飛び出した「散文の罪は深い」「書きたい詩よりも、書くべき詩を優先すべき」「詩の力を示していくことが必要」という言葉が強く印象に残っている。
和合亮一氏の名司会ぶりに対し、「詩人じゃないみたいですね」とメンバーの誰かが発言したとき、私も含めて会場が笑いに包まれた。後から思い返して、このことは随分私の心を軽くした。ここで笑いが生まれる本当の意味がわかる人とわからない人がいると思うのだ。今まで〝わからない人〟に囲まれながら、「楽しい楽しい」と笑ってきたが、そのたびに(詩人が嫌なのに、詩を書いているなんて自分はおかしいんじゃないか)と違和感を覚えていた。なんだ、ここにいる人たちはみんなそういう人なのか。そういう人こそ詩人というのなら、私は詩人を好きになれるかもしれない。
シンポジウムの次は朗読・トーク。トリは三角みづ紀氏の生ライブだった。
「この人は、いったいどこまで三角みづ紀なんだろう」ということを考える。
バックで伴奏する楽器たちと同じ、三角氏も声の楽器のようだった。
あれを見るだけでも、東京に来た甲斐があったと思う。

イベント終了後、しばらくロビーで溜まる。
トルタの河野さんと山田さんの計らいで、
複数の詩人に挨拶ができた(ありがとうございました)。
瀬尾さんと手帖賞を受賞された白鳥さんと『酒乱』の森川さんに「はじめまして」、
ユリイカの新人になられた今唯ケンタロウさんに「お久しぶりです」なんて頭下げたけれど、
頭が興奮していると人の声が聞こえにくくなるので、全く話が続かない。
すみません。ただ挨拶したかっただけです、はい。
何気ない感じで谷川俊太郎氏がいる。
ちらちらと観察していたけれど、先日BSで再放送されたねじめ正一氏との詩ボク対決の映像(10年以上前のもの)と、全く変わっていなかった。その変わらない感じも含めて、ドラえもんか何かのキャラクターが歩いているみたいだった。最後まで失礼でごめんなさい。
(ちなみに、50年祭のオープニングに、谷川氏は鉄腕アトムを歌ったらしい)

21日昼ごろ、ホテルのロビーで思潮社の編集者の方にお会いする。母も一緒。けれど、やっぱり自分の声も耳も遠かった。ずっと落ち着かなくて、緊張が解けたころに、ぼそぼそお礼を言って別れた。あれは、私の話なんだなあ、本当に本当に出るんだなあ。感慨にふける間もなく、某大学のキャンパスへタクシーで向かった。その後、7時半の飛行機で帰る、ららら。

日頃から感じていたことだけど、世の中は〝作り手〟に注目しすぎている気がしてならない。「他の人と違うことをやっている人」ばかりをマスコミも追いかけている。
けれど、本当はみんなわかっているはずだ。もっと光の届かないところで、ひっそり輝いているような人々こそが、能力も高く、世間を支えているのだと。大切な誰かの胸をほんのときどき熱くさせることを、忘れてはならない。表現者だけでは、世界は滅びてしまうのだ。
……ひどく大げさに書いてしまい、自分でふきだした。
ええと、すいません。
結局、何かが送り出されるときには、そのために走り回っている人が必ずいる。年に数回、市の会館のホールを借りて、中学生の演劇大会が行われている。私の学校の演劇部も出場していたのだが、生徒と同じくらい大人のスタッフが一生懸命だった。ほとんど無償で尽くしてくれていた。今から考えるとすごいことだ。それと同じようなことは、数え切れないほどある。
ひどく道徳的なことを言うようだけれど、
そういう人たちのことを照らしだせる数少ない形式の一つが、文学なんだと思う。
東京も札幌も舞台なんだな、きっと。
私は私で、舞台を組み立てていくよ、色々な人やものを思いながら。



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by moonpower0723 | 2009-06-24 20:52 | 詩の仕事

文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723