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成井 豊 「ナツヤスミ語辞典 21世紀版」

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ナツヤスミ語辞典 21世紀版
成井 豊 / / 白水社
ISBN : 4560035490




■演劇部での日々 ~キャラメルボックス~

中学時代、私は演劇部に所属していた。
顧問の先生の好きな劇団が、キャラメルボックスだった。
独特の長台詞をオーバーアクションを用いて一気に読むキャラメルボックスの舞台は、
当時、部員たちが必死になって入賞を目指していたコンクールでの模範的優秀作品(なるべくリアルに。アクションは、必要なものだけ。やりすぎたコメディはよろしくない)とは、はっきりいって正反対だった。
しかし、あくまで、先生が演劇のお手本として選んでいるのは、キャラメルボックスだった。
部員たちは、その手本を信じて、コンクールの入賞を真剣に目指していたが、少々不毛だったかもしれない。
まぁ、とにかく
元気のいい中学生が演じるキャラメルボックスもどきはすこぶる評判が悪かった。
というのも、キャラメルボックスというプロの集団だからこそ、あの長台詞と不自然なオーバーアクションで観客を魅せることができたのだ。滑舌の悪い素人中学生が、長台詞をわめいたところで、何を言っているかさえもわからなかっただろう。
そんなわけで、私の中学3年間はキャラメルボックスに憧れた日々だった、といっても過言ではない。


■ナツヤスミ語辞典 ~詩人~

演劇部の基礎練習として、部員が円状に連なって座り、適当に個々の役を決めて、課題脚本の読み合わせをする、ということを日常的に行っていた。その練習に使われていた脚本もキャラメルボックスの上演作が中心だった。
息も絶え絶えの長台詞を得ると、部員は嬉々となって演じていた。
練習に使われていたキャラメルボックスの上演作のひとつに「ナツヤスミ語辞典」があり、私はこれが大好きだった。単純に夏が好きだったし、この脚本には、素敵な夏がいっぱい詰まっていた。長さが長さなので、実際に演じたことはなかったが、基礎練習では数え切れないほどこの脚本にお世話になった。

先日、図書館でシナリオコーナーをあさっていたところ
「ナツヤスミ語辞典 21世紀版」を発見した。
懐かしさのあまり、手にとってぱらぱらとめくってみる。演劇のことばで満ちていた部室の空気が一気によみがえる。21世紀版、初版からかなり改編されたものらしい。
さっそく借りて読んでみたところ、その面白さに脱帽した。こんなに複雑なストーリーだっただろうか??まったく忘れてしまっている。何より、会話が淀みない。リズムがある。演じている方も楽しめるように創ってあるのだ。
読んでいるだけでは、物足りなくなり、思わず台詞を発してしまう。すると止まらなくなり、部屋で一人、何ページにもわたり、台詞を読み続けたのだった。

1991年、「ナツヤスミ語辞典」初版のあとがきで作者の成井豊さんは以下のように語った。

僕は詩人になりたいのです。詩のかけない人間が詩人になるにはどうしたらいいか。僕は僕なりに考えてみました。(中略)
詩を書こうとしなくても、詩の心さえあれば、その人の書いたものは詩なのです。(中略)
とすれば、僕も詩を書こうとしないで、戯曲を書くことで詩に到達することはできないか。お客さんに見て楽しんでもらうという、およそ詩とはかけ離れたところから、詩を目指すことはできないのか。

このまっすぐなことばが私には衝撃だった。
多くの詩に対して抱いていた物足りなさ、
それはただ詩という形式にのっかって書かれているということへの不満だったのかもしれない。
詩は単純に“書く形式のひとつ”ではないのだ、詩は心なのだ。あるいは身体なのだ。詩は人間そのものから生まれてくるに違いない。

そして、12年後。
2003年、21世紀版のあとがきで成井さんは

脚本を書くことで、詩に一歩でも近付きたい。この思いはいまだに変わりません。おそらく死ぬまで挑戦し続けることと思います。

「ナツヤスミ語辞典」
読後、まさに一編の詩の世界にどっぷりと浸れたような
あたたかい気持ちになれる脚本である。

私は、成井さんの挑戦を応援したい。
成井さんの脚本を上演し続けるキャラメルボックスの活躍にも注目している。
by moonpower0723 | 2008-05-09 23:20 | ことば

文学少女は詩人をめざす


by moonpower0723