【開催中】南桂子展~谷川俊太郎氏、蜂飼耳氏と共に/「詩と思想」1・2月号に詩掲載/日韓相互翻訳企画
2011年 01月 09日
この息よりもあたたかい。
数日前から再び東京です。
札幌で遊んで肥えて……
何のことはない、結局風邪をひいて戻ってきました汗。
ご迷惑おかけしましたが、熱も下がりましたし、だいぶよくなりました。
東京の家に届いた年賀状の返事を連休中に何とか、と思っています
そして、2週間後に連なる試験の勉強も何とか、レポートも何とか、
迫りくる諸々の締め切りも何とか、と……(ばかやろう)。
昨日から始まりました、こちらの展示の告知をもう一度。連休中にもぜひ↓
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション展覧会
「南桂子生誕100年記念展 きのう小鳥にきいたこと」
―谷川俊太郎、蜂飼耳、文月悠光、三詩人の詩とともに―
展示詳細:http://www.yamasa.com/musee/guminami.html
開催期間:2011年1月8日(土)~3月21日(土)
会場:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
*住所:東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7 こちらをご参照ください。
*開館時間
11:00 ~ 17:00(最終入館16:30。土日祝は10:00 開館。)
*休館日
(1/10、3/21 は開館)、1/11、2/20
※2/20(日)はイベントの為、終日休館いたします(cafe もお休み)。
*入館料()内は20名以上の団体料金
大人:600円(500円)
大学生・高校生:400円(300円)
中学生・小学生:200円(150円)
*企画イベント
詩の朗読 「南桂子と3 人の詩人 ― 2 月のなみおと」
出演:谷川俊太郎、蜂飼耳、文月悠光
日時: 2010 年2 月20 日(日)
朗読14:00-15:00 /お茶会15:00-16:00
この展覧会にご協力いただいた3 人の詩人をお招きします。展示空間の中で、
作品と詩の共鳴をたっぷりとお楽しみください。朗読の後はささやかなお茶会を開催いたします。
参加費:2700 円(入館料、詩の掲載された展覧会カタログ代、ドリンク・お菓子代含)
定員:50 名 申込: 1 月9 日11:00 より
電話03-3665-0251にて受付開始(先着順)
ユニセフのカードの絵で有名な銅版画家、南桂子氏(1911~2004)の作品展です。
私は美術館のカタログから、気に入った作品を3つ選び、
作品から得たインスピレーションを手掛かりに詩を書きました。
2月20日には、出品者の谷川俊太郎氏、蜂飼耳氏と共に朗読会に出演いたします。
詩掲載の展示カタログの販売もございますので、
皆さまお誘い合わせの上、ぜひお越しください。
***
現在発売中の「詩と思想」1・2月合併号の企画
<2010 ベスト・コレクション>にて、
拙詩「狐女子高生」が掲載されました。
また、特集<二〇一〇年度・回顧と展望>のアンケートにて、宮城隆尋氏が
拙詩集『適切な世界の適切ならざる私』の
中原中也賞受賞について触れてくださいました。
「この詩人は強く、若いうちに光を浴びても折れそうにないので、
受賞は日本の詩全体のためになると思う」
というお言葉に救われたような心地がしました。ありがとうございます。
同時に、いろいろと考えさせられました。
受賞に対して、このようなお声を耳にする機会はあまりなく、
だからといって、「ありがたいありがたい」と甘受すべきでもないでしょう
(きっと誰もそんなことは望んでいません。
私自身が折れるか折れないかなんて、本当はどうでもいい話です)。
詩壇のために、などという意識は、無いほうが健全なのかもしれません。
***
「現代詩手帖」と韓国の季刊文芸誌「世界の文学」間での
日韓相互翻訳企画に参加いたしました。
思潮社の高木さんによれば、
毎年日本と韓国の詩人の相互翻訳紹介をする企画を進めているそうで、
今回は「2000年代に登場した詩人」として、日韓それぞれ5人の詩人の作品の翻訳紹介と、
展望の批評掲載を行います。韓国語訳はハン・ソンレ氏が行います。
日本詩人からは、私のほかに
水無田気流氏、蜂飼耳氏、小笠原鳥類氏、岸田将幸氏が参加し、
田野倉康一氏が日本の現代詩に関する文章を寄稿されています。
私は『適切な世界適切ならざる私』の最初に掲載されている
「落花水」を韓国語に訳していただきました。
掲載誌「世界の文学」はこんな感じ……。かなり分厚い文芸誌です。ハングル、読めないよう汗。
思潮社の高木さん、訳してくださったハン・ソンレさん、ありがとうございました。
風邪をひいているせいか、近頃いつも夢うつつ。
眠っていても、夢の中をさまよう。
私にしては珍しくどれもこれも印象深い夢ばかり。
ちなみに夢はフルカラー派
(以前、家族に話したら「夢に色がついてるなんて」と
頭オカシイひと扱いされた)。
現実での知り合いが
私の恋人だったり、
実の父親だったり、
同級生だったり。
別に、そんな関係性を望んだこともないのだけれど。
現実に知り合うことのないひとが
親友だったり、
兄弟だったり。
夢でそんな立場にいたひとが
メールをくれたり
電話をくれたり
テレビに出ていたりすると
勝手にひとりで困ってしまう。
ごめん、あなたさっきまで私の手を握ってたよ。
ごめん、あなたさっきまで私と給食食べてたよ。
でも、それは私しか知りえない。
知っている人には今更かもしれないけれど、
ひりひりとした映画だった。痛くてたまらない。
「リリィ・シュシュのすべて」。
by moonpower0723
| 2011-01-09 19:06
| 詩の仕事